まだ昨日の余韻が続いていて、
“トラウマをトラウマのままにしてあげる”っていうワードが頭から離れない。
私は私に深く刻まれているトラウマに気付いたのだ。
やっぱりなーだよ。
私は、弱気な人を説得したがる。
「それは違うよ!」とそう言って相手の考えを否定したがる。
考えに正解も不正解もないのにね。
分かってるけど、言わないとモヤモヤ。
イライラ。言えないと、その場から気配を消したがる。言えないから。我慢してるから。
それ、トラウマだった。
弱気な私。
それを勇気づける父と母。
弱気に寄り添わず、
強くなれと。
大丈夫だと。
笑顔が可愛いよと。
私を引き上げようとしたんだろうか。
知ってることは教えたかったのだろう。
それが愛だと思っていただろう。
弱気な私は、
寂しくて、辛くて、孤独で、
苦しくて、すがるものが欲しかった。
そのまんま包み込まれたかった。
抱きしめて欲しかった。
そう。
弱気な私は(私が出会う誰かは)、
そのまんまを抱きしめて欲しい。
辛さを分かって欲しい。
苦しい気持ちを分かって欲しい。
寂しいから側に居てほしい。
あなたのここが好きだと言って欲しい。
居て良いって安心したい。
そのままで良いって安心したい。
欲しいものは、上に上がることじゃない。
ここに居ても問題ないよ。
そのままでも仲間だよ。
そのままでも家族だよ。
ここに居ていいよ。
今の気持ちを話していいよ。
そのままで居ていいよ。
今ここにそのまま存在することが、
欲しいものだった。
私がモヤモヤ〜イライラ〜っとした時、
トラウマが発動している。
きっと相手は、いつかの私。
きっと私は、
いつかの私に寄り添わなかった誰か。
私はもうその誰かになるのは辞める。
私でトラウマの流れを断ち切る。
そのための🚪と🗝を瞑想の中で見たんだ。
きっと出来るよ。
ありがとう、大好き。