サイレントプログラム3の次の日

まだ昨日の余韻が続いていて、

“トラウマをトラウマのままにしてあげる”っていうワードが頭から離れない。

 

私は私に深く刻まれているトラウマに気付いたのだ。

やっぱりなーだよ。

 

私は、弱気な人を説得したがる。

「それは違うよ!」とそう言って相手の考えを否定したがる。

考えに正解も不正解もないのにね。

分かってるけど、言わないとモヤモヤ。

イライラ。言えないと、その場から気配を消したがる。言えないから。我慢してるから。

 

それ、トラウマだった。

 

弱気な私。

それを勇気づける父と母。

弱気に寄り添わず、

強くなれと。

大丈夫だと。

笑顔が可愛いよと。

 

私を引き上げようとしたんだろうか。

知ってることは教えたかったのだろう。

それが愛だと思っていただろう。

 

弱気な私は、

寂しくて、辛くて、孤独で、

苦しくて、すがるものが欲しかった。

 

そのまんま包み込まれたかった。

抱きしめて欲しかった。

 

そう。

弱気な私は(私が出会う誰かは)、

そのまんまを抱きしめて欲しい。

辛さを分かって欲しい。

苦しい気持ちを分かって欲しい。

寂しいから側に居てほしい。

あなたのここが好きだと言って欲しい。

居て良いって安心したい。

そのままで良いって安心したい。

 

欲しいものは、上に上がることじゃない。

 

ここに居ても問題ないよ。

そのままでも仲間だよ。

そのままでも家族だよ。

ここに居ていいよ。

今の気持ちを話していいよ。

そのままで居ていいよ。

 

今ここにそのまま存在することが、

欲しいものだった。

 

私がモヤモヤ〜イライラ〜っとした時、

トラウマが発動している。

 

きっと相手は、いつかの私。

きっと私は、

いつかの私に寄り添わなかった誰か。

 

私はもうその誰かになるのは辞める。

私でトラウマの流れを断ち切る。

 

そのための🚪と🗝を瞑想の中で見たんだ。

 

きっと出来るよ。

 

ありがとう、大好き。